1951-02-17 第10回国会 参議院 地方行政委員会 第13号
こうした現象は昨年一月早々コミンフオルム機関紙とプラウダ紙に掲げられましたいわゆる野坂批判を契機とする日本共産党の戦術転換によつたものでありまして、その後国際情勢の推移を反映して、激しい反帝闘争が激化したものと考えられるものであります。かかる情勢は一般労働運動に反省的な刺戟となつて参りまして、民主的労組の大同団結の機縁を作り、又総評議会の結成にまで発展いたしました。
こうした現象は昨年一月早々コミンフオルム機関紙とプラウダ紙に掲げられましたいわゆる野坂批判を契機とする日本共産党の戦術転換によつたものでありまして、その後国際情勢の推移を反映して、激しい反帝闘争が激化したものと考えられるものであります。かかる情勢は一般労働運動に反省的な刺戟となつて参りまして、民主的労組の大同団結の機縁を作り、又総評議会の結成にまで発展いたしました。
○鍛冶委員長 日本新聞一九四九年六月十六日付五百八十八号に徳田球一氏の「日本における民主主義運動」なる論文が訳載されておるのでありますが、この論文はコミンフオルム機関紙「恒久平和のために、人民民主主義のために」に掲載された論文であるとここに書いてありまするが、これは間違いありませんか。もしおわかりでなかつたらお目にかけますが……。
○鍛冶委員長 これはコミンフオルム機関紙の「恒久平和のために、人民民主主義のために」というのに載せられたものであろう。こういうのです。ここに書いてありますが……。
アジア諸国の共産党はコミンフオルムには正式に参加いたしておらないのでありますが、従来も毛沢東その他中共の幹部というものは、コミンフオルム機関紙に論説を寄稿していたり、密接な連絡があるということをうかがわせる事実があつたのであります。